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    きーさん 添乗員日記
 
 
北陸中日新聞
      に掲載中
過去の記事
  ベトナムは今<1>
初添乗のころ<2>
長江横断遠泳大会<3>
ワインのお返し<4>
夫婦円満旅行の誕生<5>
沈まぬ太陽<6>
キーウエストの神風<7>
五番街ティファニー<8>
『ルンビニー園』<9>
機長と社長<10>
海の都で<11>
動物漫才<12>
ロードサイド店<13>
危機一髪?<14>
新入り操縦士<15>
スキーツアー企画<16>
・『ほのぼの旅行』<17>
出向を命ず<18>
ハイジャックに<19>
シンデレラ城<20>
休息とお祭りの島<21>
国際結婚<22>
ハイティー<23>
オリンピック<24>
買い物<25>
アスワンでの母娘<26>
ルクソールの休日<27>
大失敗の巻き<28>
自由行動日<29>
香港に始まって<30>



 

『ほのぼの旅行』

旅行の形には、個人と団体があり、
そしてそれぞれオーダーメイドとレディメードに分類される。

遠くへ行きたい
という旅行熱が盛り上がっていきた1974年(昭和49年)にJTBと国鉄(現JR)がタイアップして、
北陸から出発する団体旅行商品を発売することになった。

北陸の旅行業界では大量仕入れ、大量販売の企画旅行がまだ珍しい頃だった。
お客様に団体の割安な旅行費用で手が届きにくかった遠いところへ旅していただこうと、それに加えて北陸の冬を一時忘れて暖かいところへ行っていただくことを目的とした。


第1回目は西九州旅行で、
2月に1回80人で10回800人の設定となった。

下見打ち合わせも終わり、いざ募集計画に入る段階で
ネーミングが問題となった。
従来は、『西九州ツアー』程度に納まることだったが、
今回から暖かいイメージを連想させる
ほのぼの旅行』を冠にすることに決まった。

新聞広告やチラシを作成し、営業マンのセールスなど企画商品では今までにない販促活動を行った。

ところが、冬に旅行に出ることの少なかった北陸の人たちになかなか受け入れてもらえない。

10月から発売開始したが、12月に入っても芳しくない。
いろいろと検討した結果、
九州のぽかぽかと暖かい雰囲気を紙面でアピールすることになり、写真や説明で旅行情報を宣伝したところ、
年が明けてから反応が良くなり、10回の内8回までが満員の650人余りのお客様の申込みがあった。

平戸・長崎・雲仙・阿蘇・別府と3泊4日の旅はこうして始まった。

各班が終了するごとに、添乗員から
平戸で雪がちらついた
阿蘇山上で雪に見舞われた
など一部寒い報告があり気をもんだ。

ご参加のお客様は、
ご夫婦・ご家族連れ・女性グループなどだった。

全班が終了し、お客様のアンケートは
内容・費用とも概ね満足いただいた結果となり、
次回は是非南九州を」との要望が多くあった。

その後、
南九州・四国・沖縄と毎年回を重ねていった。

ある年には、体力的に遠くへ行けない年配の方の要望で、
山中温泉旅館組合とタイアップして
ゆっくり山中温泉2泊
を同じく冬場に計画、600人近いお客様をご案内した。
その旅行の2日目には、落語家を呼び『寄席』を楽しんでもらった。

お年寄りが、家族に付き添われて温泉に入ってのんびり楽しんでいる様子を多く目にして、企画にたずさわった者として涙が出るほどうれしかった。

旅行熱は、ますます高まりを見せ、
北陸発着の旅行商品の需要も多くなり
JTBに『北陸商品企画販売センター』が設置された。
団体はもとより、個人・グループの商品を専門に造成することとなった。

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